親の固定概念が及ぼす危機

自分の中の認識を子どもに当てはめていくと、子どもは次第に子どもらしさを失っていってしまうのではないか?

ということを今日は書きたいと思います。

もし、子育てにおいて何か思い当たる節があれば読んでみて頂けたらと思います。

1日目:雨の外遊び

これは梅雨時期の話なのですが、雨が続いて外で遊べない日が続いていた時。

娘が窓から外を眺めていました。

その姿を見て私は、「外に出てみる?」と声を掛けました。

外は雨、それも結構な雨、濡れるの嫌だし、「うん」とは言わないだろうなー。と思い、断りが入る前提で声を掛けたわけです。

ところが娘は私の予想に反して、笑顔で目を輝かせて「外に行く!」と返事をし、せっせと長靴を履き、傘をさし外に出て、雨の中水溜りを歩いたり、土の水溜りを歩いたりして遊んでいました。

飽きる事なく30分ほど遊んで、その日は満足しておしまいです。

2日目:雨の中の公園遊び

その次の日、この日も雨だったので今度は公園に誘ってみました。すると昨日と同様に笑顔で「公園に行く!」の一つ返事w

傘だと不便なので、カッパを車に積んで公園へ。雨の日の公園、そこに遊ぶ子どもはいるはずもなく、カッパを着た娘は独占した公園で水溜りを蹴散らしながら笑顔で優雅に散歩していました。

1時間ほど遊んだのでしょうか。娘は満足したらしく、2人揃って帰路に着きました。言うまでもなく、2人とも長靴・靴は水没ですw

娘は雨が好きなのかな?

この二日間を振り返って「娘は雨が好きなのかな?雨の中で遊びたいほど雨が好きなのかな?」と私は思いました。

私の中では雨って靴汚れるし、服は濡れるし、洗濯物は乾かないし、車の中はビショビショになるし、遊びに行く制限は出来るしで良いことなく、雨は“嫌な存在”です。

でも娘にとっては、“雨”は“好きなもの”でした。

私は嫌いでも、娘にとっては好きなのでは・・・

個人個人で好き嫌いが分かれるのは当たり前。これって考えれば当たり前な事なんですが、今回の雨の好き嫌い事情に関しては完全に見落としていた。

自分の中で雨が嫌いだから、娘も雨が嫌で外には遊びに行けなくて雨の休日はどこにも行けない。

そう思っていましたが、実際はそうではなかったんです。

逆に雨の日だからこそ公園に遊びにいくチャンスがそこにはあったんです。

自分が嫌いだから、世の中の大半も嫌いだからきっと娘も嫌だろう。

今回、この固定された考えによって娘の遊びに対する、好奇心に対するチャンスを危うく失ってしまうところでした。

自分が嫌い・嫌、世の中が嫌い・嫌だからと言って、それを子どもが嫌い・嫌かどうかはその子どもにしか正直分からないです。自分の固定概念で物事を決めてしまうと、子どもの世界を狭めてしまう可能性がある。

今回の雨の日体験でそれを強く体感しました。

子育てをしていると、子どもを導く意識のあまり自分の固定概念で子育てをして行きがちですが、実際は子どもの意思を聞いて、その意思を元に子育てを行なって行っても良いのかな。と今回少し思いました。

子どもの人生は最終的に子どもの人生。

親は過干渉せず、子どもの意思を汲み取り良い方向に導いていければ良いのかな。

書くのは簡単だけども、実行に移すにはとても難易度の高い行為ですよね😅

行動には中々移せなくても、意識するだけでも少しは行動が変わると思って今回書きました。

子育てを日々頑張られている皆さんの頭の片隅にでも残ってもらえれば幸いに思います!

今回もお読み頂きありがとうございました^_^

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